Beethoven

CD(コンパクトディスク)の規格を策定する際に、収録できる時間を60分にするか74分にするかという議論がありました。

そこで「74分」という収録時間にこだわっていたソニーの担当者は、著名な指揮者であるカラヤンの名前を出しました。

そしてベートーヴェンの作品である「交響曲第9番」が切れ目なく収録できることを、彼(カラヤン)も希望していると発言したことがダメ押しになったようです。

60分しか収録できないCDであればベートーヴェン本人も髪を逆立てて激怒しそうです。

ベートーヴェンの人生はかなりドラマチック

1770年に生まれたドイツの作曲家である「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」の子供時代は、宮廷の歌手であった父親のスパルタ教育漬けの日々だったそうです。

そのお陰で大作曲家になった訳ですから、通常では感謝すべき状況です。ところが限度を超えたレベルの厳しい教育方針で息子を鍛えていた父は大の酒好きで、後年には仕事もせずに失業状態になって息子のお世話になっていたようです。

しかし息子の才能はかなりのレベルだったようです。

それは当時のビッグネームであった大作曲家のハイドンに、弟子入りを認めてもらえたことからも明白です。

憧れの存在であったモーツァルトに会った際にも、弟子入りを認められました。

実際にはモーツァルトの急逝により教わることはできませんでしたが、二人が一緒にいる場面を想像するだけでもしびれる話ですね。本人の性格については色々と言われていますが、少なくとも自分が特別な存在であると認識していたことは間違いないようです。

何と言っても自分の音楽家としての活動を支えている大事なパトロン(支援者、当時は必須の存在)に対してさえ「上から目線」の手紙を出していたことが知られています。

「あなたは代わりはいくらでもいますが、わたくしベートーヴェンの代わりはどこにもいません。」等の内容です。

ベートーヴェンは耳の代わりに何を使ったのか?

20台の後半から進行した聴力の低下によって、40台の頃には完全に聴力を失ったという話が定説となっています。

しかし実際にはピアノなどの楽器によって出した大音量の音であれば、聞こえていた可能性があるとの見解もあります。

難聴であったことは間違いありませんが、自分自身の骨格を伝わってきた音であれば認識できた可能性があるからです。

ピアノと自分の顔の間に棒状の用具を入れていたとの話が残っていることも、その説を補強します。

ただし耳の中にある三半規管から先に問題があれば、この方法であっても音を認識できません。

 

このように音楽家としては絶体絶命の状態になったベートーヴェンです。

ところが彼の名作として知られている作品のほとんどが、この時代に書かれていることには驚かされます。

作曲に集中した彼が、弟子の表現によると「ロビンソン・クルーソー」のような姿で外出したため、警察に拘束されたこともあるようです。

さらに音楽だけではなく哲学や天文学にも興味を持ち、政治的には進歩的な思想を持っていました。

そのため当時の政府には危険分子として認識されていたようです。しかし現在残されている彼に関する逸話の大部分は、かなり怪しいと評価されているようです。

ベートーヴェンの晩年、それは病との戦い。

常に慢性的な腹痛と下痢に悩まされていたベートーヴェンの毛髪を最近調査したところ、正常人の40?100倍に該当する鉛が検出されたとのニュースが流れたことがあります。

本人の毛髪であることを前提にして考えれば、鉛の悪影響があったとする説には無理がありません。

その他にも聴覚や精神状態に悪影響を与えたことも予想されます。しかし当時は甘味料として、普通に鉛が使用されていたという事情があります。

このような検査によっても、水銀やヒ素やモルヒネなどは検出されませんでした。

この結果から性病である梅毒の感染(通常は水銀を投与)や毒物による中毒死が否定されました。

さらに医師の治療を拒否していたことが想定されます。腹痛に対しても鎮痛剤(モルヒネ)を使わずに最後まで戦ったようです。

誰でも知っているベートーヴェンの知られていない苦悩とは?

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