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現在では音楽の世界で絶対的な地位を獲得しているバッハとピアノです。

ところが両者とも絶対的な評価を受けるまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。

素晴らしい存在ほど、評価されるまでに時間がかかるということでしょうか。そんなバッハとピアノの関係に関する話題を紹介します。

 

バッハとピアノの関係とは?

イタリアの楽器職人であるフランチェスコによって発明されたピアノは、すでに1700年頃にはその存在が記録されています。

現在のように鉄のフレームを採用するのは、その後の1820年頃と言われています。そのため現在のように大音量で演奏できる楽器ではありませんでした。

現在のピアノ(モダンピアノ)と区別するために、初期のピアノを「フォルテピアノ」と呼ぶのが正式名称です。

この「フォルテ」の部分はイタリア語の「大きく鳴るチェンバロ」という文章の「大きく鳴る」という部分からとりました。

チェンバロは当時ひんぱんに使用されていた鍵盤楽器です。このフォルテピアノの存在を知って自分でも製作したドイツのオルガン製作者がゴットフリート・ジルバーマンです。

彼は製作したピアノをヨハン・ゼバスティアン・バッハ(通称大バッハ、1685~1750)に見せました。これがバッハとピアノの出会いです。

 

バッハにとってピアノは?

試作の段階では、ピアノの響きを絶賛した大バッハですが、高音部が弱いところと弾きづらいところを指摘したそうです。

それによってプライドを大いに傷つけられたジルバーマンですが、その後はバッハの指摘した問題を解決するために、長い時間をかけることになります。

その後改良を加えたピアノを再び試奏した大バッハは、非常に満足したようです。そして大バッハのすすめに従って、当時ドイツの君主であったフリードリヒ大王は、多数のピアノを宮廷に備えました。

大バッハの活躍していた時代には、鍵盤楽器としてオルガン、チェンバロ、クラヴィコードが愛用されていました。

ピアノは当時の鍵盤楽器の中ではもっとも大音量で演奏できる楽器でした。また鍵盤を引く指の力に強弱をつけることで、1音ごとに音量を変化させることができます。

まるで当時の鍵盤楽器の長所を全て集めたような楽器と言えます。大バッハがこの新しい楽器の魅力に引き寄せられたのは、ある意味当然の結果でしょう。

複数の調律法が存在した当時にあって、24の全ての調による作品集を発表した大バッハは、楽器の面でもかなり革新的な考えを持っていたということでしょう。

 

デビューしたばかりのピアノとバッハ

現在のピアノと同じように演奏者が鍵盤を押す力をコントロールすれば、それに応じて音にも変化を付けることができた誕生直後のピアノです。

しかし現在のピアノとは異なり音域によって、音色が大きく異なっていたようです。

低音域と中音域と高音域では明確に異なる音色であった当時のピアノは、大バッハにどのような感動を与えたでしょうか?

 

彼の鍵盤楽器向けの代表的な作品集である「平均律クラヴィーア曲集」は、俗に旧約聖書に例えられるほど高い評価を受けています。

ただし生前からこのように高い評価を受けることはありませんでした。実は登場したばかりのピアノも現在ほどの人気を得ている楽器ではありませんでした。

その後の楽器としての進化によって、やっと現在のような「楽器の王様」としての地位を確立できました。

両者の関係は結局「似たもの同士」ということでしょうか?

よく調べるとバッハとピアノの関係が面白いかも知れません。

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