1960年代の終わり頃には、ロックの新しいスタイルがいくつも誕生していました。

どのバンドも商業的な成功を目指していましたが、パーティーのBGMに相応しい音楽を提供する気はほとんどありませんでした。

逆に自分たちの音楽スタイルを当時のロックファンに提案して、その魅力によって強引にファンを振り向かせようとしました。

それを可能にする演奏力と作曲能力を持っていた一部のロックバンドは、強引な手法でも大成功を納めることができました。例えばこれから紹介する「レッド・ツェッペリン」のような存在です。

 

ハードロックという新ジャンルの誕生

1968年に英国で誕生したロックバンドである「レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)」は    ボーカル担当のロバート・プラント、ギター担当のジミー・ペイジ、ベース・キーボード担当のジョン・ポール・ジョーンズ、ドラム担当のジョン・ボーナムで構成された4人組でした。

それまでのロックバンドのように、一般受けする3分以内のシングル曲を大量生産するスタイルとはかなり異なる路線で大きな人気を得ることに成功しました。

 

現在ではこのバンドを含んだ複数のバンドを初期の「ハードロック (Hard Rock)」バンドとして分類しています。

「ハード」ロックというと激しいだけの音楽を想像するかも知れません。

しかし、このバンドは非常に広い分野の音楽ジャンルを吸収していました。それが広すぎて当初は評論家に批判されていたほどです。

一例としては伝統的な民族音楽や当時の流行であったサイケデリック、ファンク等々そして基本にはブルース、リズム&ブルースがありました。

このように、多様なジャンルのエッセンスを吸収した独自の音楽性が特徴です。

 

レッド・ツェッペリンの何でもありの音楽スタイル

レッド・ツェッペリンの提示した音楽スタイルは、他の分野の音楽家も一目置くものでした。

有名な逸話としては、クラッシック界の巨匠として当時絶対的な存在であった指揮者のカラヤン氏が、このバンドの代表曲の1つである「天国への階段(4枚目のアルバムに収録)」を高く評価しています。

カラヤン氏によると自分がこの曲をアレンジ(メインテーマ以外に手を加える作業)しても、これ以上のものはできないということです。

 

実は1つ前に発表した3枚目のアルバムは、アコースティクな雰囲気にこだわった結果、評論家に酷評されました。

そのため方向性を失った4人のメンバーが合宿して自分たちの音楽スタイルを再確認した時期に、4人のアイデアを合わせてつくった曲が「天国への階段」です。

4枚目以降の作品については、さすがに批判する評論家は存在しませんでした。

皮肉なことに、現在では1枚目から3枚目までの初期の作品を高く評価する評論家や、音楽ファンが多いという現実もあります。

 

レッド・ツェッペリンの悲しみにあふれた最終章

1973年頃から喉を痛めていたボーカル担当のロバート・プラントが手術をしたことが、このバンドの不幸のはじまりだったのかも知れません。

その後1975年に事故にあったロバート・プラントがそのケガも治り、喉の状態も改善してコンサートツアーを行っていた1977年にはプラントの息子が病気で亡くなります。

その悲しみから復活して順調に活動していた1980年には、ドラム担当のジョン・ボーナムが飲酒後に窒息して死亡します。

ハードロックバンドとしての存在価値を決定づけるメンバーがいなくては「似て非なるバンド」となります。

そのような判断によって、このままバンドは解散します。しかし、最近の再結成時にはジョン・ボーナムの息子のジェイソンが父親譲りの正確で力強いドラミングを披露しています。

レッド・ツェッペリン、ハードロックのあるべき姿を決定した存在

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