存在自体が革新的と言える存在であるジミ・ヘンですが、音楽スタイルの基本はブルースとリズム&ブルースです。

ところが、それを観客に表現する手法が非常にユニークであり、それまでどのアーティストも考え付かないものでした。

そして個性的なボーカルも記憶に残ります。

全てが個性的で誰にも真似ができない独自の世界を創りあげて、ほんの数年でこの世から消えた彼の存在。しかし、彼のまいた種は世界中で大きな収穫を与え続けています。

 

死して永遠の音楽スタイルを残す。

母国の米国ではなく英国で1966年にプロデビューしたジェームズ・マーシャル・ヘンドリックスは「ジミ・ヘンドリックス(またはジミ・ヘン)」という略称で知られているギタリスト、作曲家です。

しかし活動期間は1970年9月18日に27歳で終了しました。

薬物の過剰投与を死因とする定説に対しては、未だに反論があるようです。

死因に関係なく彼のわずか4年に満たない活動によって、どれほど大きな影響があったかということの方がはるかに重要です。

 

単にロックの世界だけに留まらず、ジャズ、フュージョンなどの分野においても、彼の影響を受けたアーティストが存在するという事実からも、その影響力の大きさが想像できます。

当時はあまり使っているギタリストがいなかった「ストラトキャスター」タイプのエレキギターを使用して、過激なアーミングプレイを披露する姿をみたギターの設計者が驚いたという逸話も残っています。

それは設計時に全く想定していない使用方法であったからです。

 

ジミ・ヘンをロックスターにした有名ミュージシャンとは?

最初に彼の素質に気が付いて、その後押しをしたのは英国のロックバンドであるアニマルズのチャス・チャンドラーであったことが知られています。

しかも、そのチャンドラーにジミ・ヘンの存在を教えたのが、ローリングストーンズのギタリストであるキース・リチャーズの恋人だったということです。

このように黒人でありながら白人層に人気のあったジミに対しては、黒人のブルースミュージシャンを中心として反感を持っている人も存在していたようです。

 

しかし、黒人のミュージシャンのなかでも大御所として君臨していたジャズミュージシャンのマイルス・デイビスは、ジミを非常に高く評価していました。

ジミが生きていれば、二人が共演した作品が制作される可能性もあったようです。

そしてザ・ビートルズのポール・マッカートニーとも縁があります。

それは米国でのジミの人気を決定づけたモンタレー・ポップ・フェスティバルへの出場を後押ししたのが、そのフェスティバルの世話役を行っていたポールだったからです。

 

ジミ・ヘン亡き後もそのフォロワーは増加

ジミが本来右利き用に設計されたギターを左利きのスタイルで使用していた姿も印象的でした。

現在でもこの姿に影響を受けて、右利きのギタリストがわざわざ左利き用のストラトキャスターを使用しているほどです。

しかし重要なのは見た目ではなく、そのアーティストとしての精神です。

自分の表現したい世界を本当に実現するには、その楽器を設計した人間や、これまでの音楽理論では想定もしていないような領域まで行く必要があります。

その程度まで自分の能力を高めなければ、新しい芸術作品をつくることはできないということを教えてくれたジミの存在価値を再認識すべきです。

一瞬だけ輝いたジミ・ヘンの存在、それが全ての流れを変えた

投稿ナビゲーション