47

1962年10月に母国のイギリスでプロデビューした4人組が「ザ・ビートルズ」です。

単に大成功したロック・バンドという商業的な部分だけではなく、その音楽面での革新的な実験を評価すべき存在です。

しかし、その功績と同じくらい大きなミステリーが存在するロック・バンドでもあります。それは、すでにデビュー前から存在しています。

 

ザ・ビートルズ誕生前にあったミステリー

2枚目シングルの大ヒットからはじまった夢にも見なかったような大成功によって、この4人はロックンロールの歴史に自分たちの名前を刻むことになりました。

ところがプロデビューの直前の1962年8月にドラマーを担当していた「ピート・ベスト」が解雇されたことを知っている人は少ないかも知れません。

しかも解雇理由は解雇から50年以上経過した現在でも判明していません。

 

残ったメンバーであるジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3人と、新加入したリンゴ・スターおよび解雇されたピート・ベストの言い分が、全く異なることがその原因です。

解雇されたピート・ベストも別のバンドで1967年まではプロとして活動していました。最終的には音楽業界から足を洗い、1988年まで職業安定所に勤務した後で早期退職して、再度「ピート・ベスト・バンド」で音楽業界に復帰しました。

現在73歳になった彼がロックの歴史に名前を刻むとしたら「ロックスターになり損ねた男」という不名誉な称号が付きそうです。

 

ザ・ビートルズ最大のミステリーの定説では?

73歳になった現在では、ピート・ベストは優しそうな印象を与える男性です。

ところがザ・ビートルズ在籍時代には、その整った風貌と常に頭をリーゼントにセットした姿でステージに立つところから、特に女性ファンには一番人気のメンバーでした。

他の3人はどちらかと言うと良いところのお坊ちゃん的なイメージに統一していました(あくまでイメージ戦略です。)。

 

また髪型も後に「マッシュルーム・カット」と呼ばれることになる独自のスタイルでした。

残ったメンバーによると、ピートの演奏技術がプロになるレベルに達していないことを理由にあげているようです。

またその後のバンドにとって非常に重要な存在となるプロデューサーの「ジョージ・マーティン」も、他のドラマーに代えることを希望していたとの話が定説になっていました。

ところがプロデューサーであったジョージ・マーティン本人が1979年に発行された著作のなかで、ピートの解雇には関与していないことを明言しています。

 

ザ・ビートルズ最大のミステリー、深まる謎

当時のピートとリンゴのドラマーとしての技術にはそれほどの差があったとは思えません。

それを補強する情報もあります。

デビュー曲の「ラヴ・ミー・ドゥ」では解雇されたピート、新ドラマーのリンゴ、そしてスタジオミュージシャンの「アンディ・ホワイト」の3人が同じ曲を録音したという事実があります。

最初に販売したデビューシングルには、確かに新ドラマーのリンゴが参加したバージョンを採用しました。

しかしプロデューサーの判断によって、その後に販売されたアルバムや再販したデビューシングルには、スタジオミュージシャンの「アラン」がドラムを担当したバージョンのみを採用しました。

 

これによってさらに謎が深まりました。ただし髪型なども含めてメンバーのイメージを統一する戦略であったとしたら、どのみちピートはバンドを去ることになったかも知れません。

残ったメンバーは解雇を伝える役目をマネージャーに丸投げしたことについては、ひきょうな行為であったことを認める発言をしているようです。

残ったメンバーのなかでは当時一番ピートと仲の良かったジョージ・ハリスンとは、ジョージが亡くなる3年前に再会できたようです。

ジョージにとっても謝罪する機会が持てたことは、非常に喜ばしい出来事だったようです。

ザ・ビートルズの謎。それはメジャーデビュー直前から存在!?

投稿ナビゲーション