その死後に自宅が米国の「国定史跡」に認定されたロックスターが存在します。

これは「ロックンロール」が1つの文化として国家から認定された証拠にもなる事実です。

それを認めさせた存在がキング・オブ・ロックンロールと称される「エルヴィス・プレスリー」です。ロックの歴史にとって非常に重要なキングを紹介します。

 

白人なのに黒人のように歌えるアーティスト、それがエルヴィス

1935年にミシシッピ州で生まれて、その後テネシー州のメンフィスに移った「エルヴィス・アーロン・プレスリー」は、13歳で母親に渡されたギターを手にしたことで人生が開けました。

しかも白人でありながら多数の黒人が住んでいる地域に住んでいました。生で黒人の音楽に触れることができるメンフィスに引っ越したことも幸いしました。

当時は黒人の音楽であったリズム・アンド・ブルースをわざわざ白人が歌うことで、白人向けの商品としていた時代です。

はじめてプレスリーの歌をラジオで聞いた人は、黒人の新人歌手が歌っていると思ったほどでした。

 

また、その服装、髪型、歌うときの動きも黒人的なスタイルであったため、最終的には人種に関係なく、当時の若者から圧倒的な支持を受けるロックシンガーとなりました。

人気を決定づけたのは1956年1月に販売されたシングル曲の「Heartbreak Hotel」が初めて全米ヒットチャートの1位になったことでしょう。

この曲は8週連続で1位の座に留まりました。彼が亡くなるまでに、合計で18曲がシングルチャートで全米ナンバー1になりました。

これはマライア・キャリーと並んで全米歴代2位となります(1位はザ・ビートルズの20曲)。

逆にザ・ビートルズの母国であるイギリスでは、合計18曲のプレスリーが全英歴代1位です(2位はザ・ビートルズの17曲)。

 

エルヴィス・プレスリーの快進撃は続く

信じがたい数のレコード(CD)を売り上げていますが、世界中で売れた総数を「20億枚以上」とする説が有力です。

これは記録の残っている1972以降の売り上げと、それ以前の売り上げを推定した数字を合算したものです。

彼が亡くなった翌日だけで2000万枚売れたことがわかっています。活躍していた時期を考えると、これからレコードを持っているファンがCDに買い換える可能性もあります。

そのため今後も天井知らずに売り上げが増加すると予想されています。

 

ザ・ビートルズのメンバーとは一度会ったことがあるプレスリーです。

音源には残していませんが、簡単なセッションも行ったようです。ザ・ビートルズの4人のメンバーも大興奮の様子でしたが、一人だけ素直になれないジョン・レノンが余計なことを言ったおかげで、相手の機嫌を損ねたそうです。

ジョンはザ・ビートルズのレコードは全部持っていると発言したプレスリーに対して「あなたのレコードは1枚も持っていない。」などと発言したことで、完全にプレスリーに嫌われたようです。

そのためジョンの作品をプレスリーがコンサートで歌うことはなかったそうです(他のメンバーの曲は何度も歌っています。)。本当はプレスリーのファンだったジョンはかなり後悔したでしょう。

 

エルヴィスの最後は突然やってきた。

超過密スケジュールのコンサートが続くことで、心も体も病んでしまったときには、誰でも極端な生活習慣にはまりやすいようです。

プレスリーの場合は基本的に酒もタバコもやらないため、ひたすら食欲を満たすことで精神を保っていたようです。

また医師から処方された通常の薬を大量に服用する習慣もあったようです。

1977年8月16日に、通称グレイスランドと呼ばれていたテネシー州メンフィスにあった自宅で彼は亡くなりました。

まだ42歳という若さで亡くなったため、熱狂的なファンの間では未だに「エルヴィス生存説」が根強く残る程度の衝撃を世界中に与えました。

エルヴィス・プレスリーの登場でロックの産業化は決定的に

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