「音楽家のバッハさんのお宅はどちらでしょうか?」と聞いても、おそらく「すみません。音楽家のバッハさんだけでは分かりません。」ということが何度も繰り返されるでしょう。

一族が同じ職業を受け継ぐことによって、いつの間にか苗字が特定の業種を表すようになることは珍しくありません。

バッハという呼び名についても同様です。

音楽家のバッハさんですか?それだけでは情報不足です。

現在では大変有名なドイツの作曲家である「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」は1685年に生まれました。

別名「大バッハ」とか「音楽の父」とも呼ばれています。

この大バッハが自らの一族の起源について記載した家系図「音楽家バッハ一族の起源」によると、大バッハの祖父であるクリストフ・バッハの父親(ヨハネス・バッハ)の時代から、職業音楽家としてのバッハ家がスタートしたようです。

自分の家系を本にすること自体もスケールの大きな話です。結局音楽家としてのバッハ一族はドイツの歴史とともに、多くの作曲家と演奏家を生み出しました。

現在までの研究では、バッハ一族には合計85人の音楽家が存在していたと言われています。

そのため大バッハ以外のバッハが作曲した作品が、大バッハものとみなされるような事態も発生したそうです。

これだけ多数の作曲家が存在していたバッハ一族のなかの一人が「大バッハ」と呼ばれていることからも、大バッハの作成した曲の魅力が予想できます。

彼の経歴をみると教会に関係した仕事についていた時期が長いようです。

しかしその作品は当時の感覚からすると、かなり前衛的なものだったようです。演奏家としてオルガンを演奏しても、他の演奏家では再現できないレベルの演奏技術を持っていたようです。

その前衛的な作品と演奏が教会内で問題になり「聖職会議」で議題になったことを示す議事録まで存在しています。

憧れたヘンデルとの奇妙な共通点とは?

大バッハとしては同時代に生きていたヘンデルを意識していたようです。

当時はそれほど大きな評価を受けてなかったバッハです。自分よりもはるかに大きな評価を得ていたヘンデルと、交流を深めることを希望していたようです。

ところが実際にはヘンデルと会うことなく、この世をさりました。一度は自分の長男をヘンデルのところに派遣して、招待したこともありましたが拒否されました。

しかし意外な共通点が両者には存在するようです。

1つは同じ女性との婚姻をすすめられて断った点です。

これは結婚を条件に、ある教会のオルガニストの後継者になることを提案されて断ったという話です。

その後2度結婚して20人以上の子供に恵まれた大バッハと、一生独身で1人も子供をつくらなかったヘンデルのその後の人生は非常に対照的です。

そして2つ目は、二人とも晩年に目を患ってしまい同じ眼科医にかかりましたが、二人とも効果が全くなかった点も共通します。

現在では、そもそもこの自称眼科医が、本当にまともな医療知識と技術を持っていたのかさえ疑問視されています。

バッハの高い評価は永遠?

現在では高い評価を受けている「大バッハ」です。ところが死後の評価が最初から高かった訳ではありません。

古い時代の音楽として、長い間忘れ去られていた時期もあったようです。それでもバッハ一族の子孫やその他の演奏家(モ?ツァルト、ショパンなど)が大バッハの作品を演奏したことで、再評価される時代がやってきました。

教会音楽としてはかなり前衛的な部分を持っていた大バッハの音楽です。その本当の魅力が後世の音楽家や音楽愛好家によって、ようやく理解されるに至ったということでしょうか?

現在でも作品の整理が進行中であり正確な作品数は不明です。

もっとも最近に完成した全集では大バッハによる1100に上る作品が納められています。

音楽家一族に生まれたバッハ、1000曲以上を残した彼の裏話

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