多数の音楽ファンから高く評価されている作曲家であっても、実際には過去に発表したものを超えるような作品を生みだすべく、孤独で厳しい戦いを継続します。

その戦いが限度を超えると、作品を公表する気力さえ失ってしまうことも。

著名な作曲家であったシベリウスも、世間からの大きな期待という強敵と長く孤独な戦いを繰り広げました。未だに解明されていない彼の長期間におよぶ晩年の沈黙。

音楽家として戦っていた彼の情熱と挫折が関係しているのか?それとも別の理由による沈黙だったのかは、現在でも解明されていません。

シベリウスの生涯とは?

1957年に満91歳で亡くなったフィンランドの作曲家ジャン・シベリウス。7曲の交響曲を初めとする多数の作品を残した彼は、フィンランドの生んだ偉大な作曲家として知られています。

特に最後の交響曲となった第7番を完成させた58歳前後の彼は、以後も作曲家として完成度の高い作品を発表するものと思われていました。

ところが、音楽ファンがいつまだ待っても交響曲第8番は発表されませんでした。その後は作曲のペースも急速に低下、交響曲第7番を発表して約5年経過した1929年には創作活動を停止してしまいます。結局、その後亡くなるまでの28年間作品を発表することなく、この世を去ることになりました。

現在でもはっきりとした原因が解明されていない「謎の沈黙」。その期間も、彼は毎日机に向かっていたとの証言も残っているため、さらに謎は深まります。

シベリウスの人生に発生した謎の沈黙

現在でも大きな謎とされている沈黙の期間。一般的には、その間も机に向かって「幻」の交響曲第8番を創作していたとされています。何度か完成した第8番ですが、自分自信が満足できるものではなく、そのたびに破棄していたことが彼の手紙と関係者の証言で判明しています。

彼が亡くなったときも、その遺言によって彼の娘が残された楽譜を燃やしたそうです。

これほどまで完璧な作品を求める彼の音楽家としての自己批判の厳しさは、若い頃から知られていたものです。それがさらに極端になった背景には、交響曲7番を聴いた当時の音楽ファンからの大きな期待が存在したと思われます。

そのあまりに大きな期待が、もともと自分の作品に厳しかった彼に大きなプレッシャーを与えたことが「謎の沈黙」の発生原因である可能性は高いのでは。

シベリウスにとっての音楽とは?

彼の秘書によると、シベリウス自身も多数の自筆譜を燃やしたということです。あまりにも素晴らしい作品を誕生させた芸術家には、常に大きなプレッシャーがかかります。それと戦いながら、最終的には亡くなるまでの間沈黙を継続した彼の28年間とは?

おそらく自分が過去に発表した作品群を相手として、孤独で厳しい戦いを日々繰り返していたのでしょう。

そのような戦いに勝てる人だけが、後世に残るような作品を誕生させることができる芸術の世界。音楽の世界も、熾烈な戦いに勝つことが義務付けられている戦国時代と変わらないようです。

フィンランドの作曲家シベリウス、その晩年に訪れた「謎の沈黙」

投稿ナビゲーション