低いイスに座った演奏者が、軽く歌いながら非常に高度なテクニックでピアノ演奏を行う姿。

非常に印象深い音楽スタイルを最後まで貫いた演奏家グレン・グールド。それまでの常識をことごとく破壊しながらも、多くの音楽家や評論家そして聴衆から大きな支持を受けた彼の音楽人生とは?

22歳で、バッハに関する世界の常識を破壊!

1982年に50歳で没するまでの間、精力的な音楽活動で独自の世界を構築したピアニスト、グレン・グールド。カナダ生まれの彼は、すでに3歳の頃には母親からピアノの手ほどきを受けていました。そして、14歳のときにはトロントの王立音楽院を卒業するという経歴を持っています。

22歳で開催した米国公演によって、その人気と実力を確実なものにしました。

早速、米国のレコード会社であるコロンビアと契約したグレン・グールド。彼は最初に録音する作品として、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」を選択しました。

ところが、その当時ピアノが登場する前の時代に主役であった楽器チェンバロを使って録音されたゴールドベルク変奏曲が一般的でした。

当時の音楽界の常識に挑戦を挑もうとする彼の強い意志によって、新たにピアノ作品として録音されたゴールドベルク変奏曲。それまでのバッハ作品に対する評価を一変させるほどの衝撃的な内容となりました。

グレン・グールド、コンサート活動からの撤退はなぜ?

最初に発表したゴールドベルク変奏曲によって、音楽評論家を含めた全ての音楽ファンからの支持を獲得したグレン・グールド。彼自身もチェンバロで演奏されたゴールドベルク変奏曲を何度も聴いた結果、バッハの本質を伝えるにはピアノが適しているはずという信念があったようです。ところが、彼は32歳でコンサート活動を中止、以後は録音を専門とするピアニストとして数々の名盤を残します。

彼がコンサート活動から撤退した理由として、いくつの説が存在します。彼の言葉によると「(演奏者の失敗を探して)血に飢えた観客」そして「失敗を恐れる演奏者」という関係では、良い音楽は産まれないという彼独特の信念があったようです。

かなりの潔癖症で、他人との接触を嫌っていた彼は、演奏旅行のために飛行機に乗ることが苦痛だったのではという説もあります。2015年の9月には、彼の残したレコード81枚のボックス・セット(及びハイレゾ音源を収めたUSBメモリ版)の発売が予定されています。

グレン・グールドは、全てが規格外の愛すべき存在
異常に低いイスに座って、自由にテンポを変更したり、和音を変更したりという楽譜の指示を無視した大胆な解釈で知られていたグレン・グールド。オーケストラとの共演では、手が空いたときに勝手に指揮をとることもあり、指揮者とは激しくぶつかりました。なかには仕事をキャンセルした指揮者も。そして歌いながら演奏するスタイルが通常でしたから、残っている音源にも彼の歌声が確認できます。

現在のように演奏の一部をつなぎ合わせることで音楽作品を完成させる手法にも、早くから挑戦していたようです。コンサートのように一回だけの演奏で観客を満足させる関係には、不満を抱いていた彼。気の済むまで手を加えた作品を発表することで、演奏者と聴衆の関係がやっと平等になると感じていたようです。

グレン・グールド、斬新なバッハの演奏と独自性のある生き方とは

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