多数の名作を生み出した作曲家の夫と、名ピアニストとして知られていた妻の組み合わせ。

このように最適なカップルであっても、その人生が幸せなものになるとは限りません。シューマンと妻クララの関係も、まさにそのようなものでした。二人の短い夫婦生活には、どのようなドラマがあったのでしょうか?

シューマンにとって妻クララとは?

1856年に46歳という若さで亡くなったドイツの作曲家、音楽評論家のロベルト・アレクサンダー・シューマン。ロマン派を代表する音楽家のひとりとして知られている存在です。

大学で法律を学んでいた彼は、どうしても音楽家への夢を諦めきれず、当時ピアノ教師として有名であったフリードリヒ・ヴィークへ弟子入り。そのヴィークの娘が、名手として知られていたピアニストのクララです。

父親ヴィークから激しい怒りをかいながらも、シューマンとクララは1839年に結婚。8人の子供にも恵まれ、作曲家としても作品の幅を広げたシューマンには、何も問題がないように見えました。

ところが彼も高く評価していた若きヨハネス・ブラームスと出会ってから少しした頃から、彼の精神面での問題が進行。最後はライン川に投身自殺を図る程度にまで病状が進行しました。

シューマンの晩年

投身自殺を図った後から、彼の人生は急速に終幕へ向かいます。入院から約2年経過した1856年の7月に亡くなった彼は、最後にクララが指につけたワインを飲んだそうです。

演奏家としては、指に発生した腫瘍のため一定のレベルで成長が止まってしまったシューマン。そのため音楽評論家や作曲家としての地位を確立する方向へ自分の全精力を注ぐことになったことが、現在の高い評価に結びついたのかも知れません。

評論家としてのシューマンもかなり有名な存在でした。同じ年齢であったフレデリック・ショパンのことは、特に絶賛。

その評論のなかでは「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」というように最大限の評価を与えています。単純な評論ではなく、自分の頭のなかで創りだした架空の座談会で、これまた架空の評論家が登場するという彼独自の世界。

ショパン以外にもメンデルスゾーンやブラームスなどを高く評価、また過去の音楽とされていたバッハ全集の出版を呼びかけるなどの積極的な活動で知られています。

シューマンと妻クララの人生は、それ自体がドラマ

ショパンやリストのようなピアニストにも高く評価されるピアニストであったシューマンの妻クララ。作曲家としても才能を発揮しながらも、女性の作曲した作品を正当評価できるほど成熟していなかった当時の音楽界に嫌気が差して作曲を辞めた彼女。

作曲家としての道を断念したクララにとって、夫シューマンの存在は特別のものだったでしょう。

8人もの子供を出産しながら、その合間に演奏旅行を行っていた彼女は、1896年に76歳で亡くなるまでピアニスト、そしてピアノ教師として夫シューマンの分まで活躍しました。父親であったヴィークによる英才教育によって、優れた演奏技術を身につけたクララ。

そして演奏家としてのキャリアを断念して、優れた作品を多数生み出したシューマン。この二人の関係は、どのようなドラマでもあり得ないほどの宿命を感じるものです。

名ピアニストクララと結婚したシューマン、その悲しい終幕とは?

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